ツナガレ介護福祉ケア

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江戸時代の高学歴はどこまで~朱子学と陽明学、儒学の違いとは?

 

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江戸時代の高学歴エリートとは

 

江戸時代は教育熱が盛んでした。

 

その理由は、武士が戦に行かなくなったからです。

 

あわせて商業が発達し、ヨーロッパや中国からの影響も大きくなり学問が発展しました。

 

江戸時代メインの学問は「儒学」でした。

 

特に儒学の一派である朱子学(しゅしがく)は幕府によって保護され、官学となりました。

 

儒学と聞いてもピンとこない方も多いかもしれません。

 

しかし意外にも私たちの生活に今も根付いているんです。

 

 

 

 

朱子学を開いた人物とは

 

朱子学は中国の宋代に起こった儒学の一種であり、朱子により大成された学問です。

 

朱子は「理気二元(りきにげん)」という理論のもと、人間性は「理(本性)」と「気(気質)」によって存在すると説きました。

 

つまり、こんな感じです。

 

「人間は本来善であるが、気の昏濁(こんだく)によって阻まれている。そのため気を変化させることで善に復帰できる」。

 

認知行動療法では、気を「思考」と置き換えると理解が進むことがあります。

 

つまり、「己の思考をコントロールせよ」といったところでしょうか。

 

朱子学の有名な研究者は、林羅山(はやし・らざん)です。

 

朱子学は社会階級や身分制度を認める封建的道徳理念の裏付けとされ、幕藩体制を支持する理論として重宝されました。

 

 

陽明学、知行合一の教えと吉田松陰

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朱子学を学んだ中江藤樹(とうじゅ)に研究されたのが陽明学です。

 

陽明学は「知行合一(ちぎょうごういつ)」を説いた学問です。

 

知行合一とは、頭で理解するのではなく「心」と一致することを重視しています。

 

この考えは、吉田松陰らに受け継がれていきます。

 

 

ちこう-ごういつ【知行合一】
知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。▽王陽明が唱えた陽明学の学説。朱熹(しゅき)の先知後行説に対したもの。

 

 

 

ちなみに 禁欲的な朱子学と異なり、欲心を人間の本能として認めたのが「古楽」です。

 

古楽では政治や社会に関する問題を歴史的に考察する方法を取ります。

 

 

 

 

 

 

石門心学、報徳司法の経済思想とは

 

江戸時代には商業の発達により、町人にも読み書きや算術などの能力が必要とされました。

 

それらを養うために普及したのが寺子屋した。

 

寺子屋の先生は武士、僧侶、医者、役人などでした。

 

江戸時代の教育理念としては石田梅岩(ばいがん)が提唱した「石門心学(せきもんしんがく)」が有名です。

 

これは、正直で倹約することが重要な事。

 

商人の営利追及は正当な行為であるとした町人社会での実践哲学といえるものです。

 

一方、二宮尊徳が行ったのは「報徳司法(ほうとくしほう)」です。

 

節約や貯蓄により、負債整理や経営復興などを図る方法を言います。

 

現在のビジネスシーンに活用されていますよね。

 

江戸時代の私塾とは

 

江戸時代、寺子屋の普及で日本人の識字率は高かったそうです。

 

この識字率の高さを基礎として、日本では算術、書道、歴史、医学などの教育機関が発展します。

 

なかでも寺子屋よりランクの高い教育機関が「私塾」でした。

 

江戸時代中期以降、「私塾」は藩校に進むための中等教育機関としての役割を果たしていました。

 

 

私塾:私設の教育機関。江戸時代には有名な儒者などの開設した私塾が教育機関として重要な役割を果した。江戸時代から明治維新にかけて,漢学塾,洋学塾など多くの私塾が設けられたが,近代学校制度の発達とともに改編され,そのなかに吸収された。

 

 

 

寺子屋と藩校の違いとは

 

藩校とは、諸藩が藩士を教育するために城下町に設置した教育機関です。

 

今でいうエリート養成所になるのでしょうか。

 

ここでは儒学を中心に読み書きや道徳、哲学、歴史などの人文的教育の習得を目指しました。

 

 

藩校:藩学ともいう。江戸時代に諸藩が藩士の子弟の教育のために設けた藩の直轄学校。明治維新当時の 276藩のうち 215藩が藩校を開設していたことがわかっている。明治維新後に制度改革を行なったものも多いが廃藩置県により廃止された。その後これを母体とし中学校 (旧制) などが設立された。また地方の代表的な小学校となったものも多い。

 

 

 

 

 

 

江戸の私塾は大学院

 

江戸時代のエリート教育のトップは、私塾と言えるかもしれません。

 

日本では古来より、子どもを大切にする文化がありました。

 

「おんぶ」や「子守」の習慣は日本の特徴でもあり、万葉集にも子供を思う親の歌が多く残されています。

 

江戸時代には子育てを植物の栽培と同じように考えていたそうです。

 

植物の手入れのように幼少期に適切な教育を施すことが重要という考え方ですね。

 

こうした親の想いに応えようと子どもたちも勉学に励み、エリート学校に入ろうと懸命になっていたのは容易に想像できます。

 

そう思えば、今のエリート教育も江戸時代のエリート教育も環境こそ違えども、根本は同じなのかもしれませんね。

 

本日もありがとうございました。