オーベルランの業績とは
フランスの牧師、オーベルランは貧しい村に派遣されました。
子どもたちは放任され危険な環境でした。そのときオーベルランは、宗教とともに教育の必要性を痛感したそうです。
彼は行動しました。
共働きの家庭の子どもは放ったらかしだったので、自分のお金で幼児保護所を作りました。これが世界初めての集団保育施設とされています。
1769年、フランスで初めて開設した幼児のための保護施設はその後、公費による保育所の設置や普及、国家制度化を求める運動のきっかけとなりました。
オーエンの教育とは
イギリスの実業家、オーエンは性格形成学院で有名です。彼はその才能と努力で成功して、店員から工場経営者になりました。
オーエンは義務教育の基礎を作り上げた人でもあります。
産業革命の18世紀後半から19世紀、イギリスでは子どもたちが劣悪な環境で長時間労働を強いられていました。
これに心を痛めていたオーエンは、自分の工場の敷地内に「性格形成学院」を設立しました。いまでいう幼稚園や保育園です。
また人々が幸せになるように労働時間の短縮、レクリエーション設備、年金制度などの福利厚生を充実させました。
オーエンは、環境を改善すればよりよい性格が育つと信じていました。だからこそ労働者の福利厚生の一環として幼児学校を含む性格形成学院を作ったのです。
性格形成学院では年代別に幼児学校、昼間学校、夜間学校があり、音楽やダンス、お話などの活動をしていたそうです。なぜそのようなことをしたのか?
彼はこう語っています。
「人間の性格は本来善であるが、生後の環境によっては悪くもなるので、幼児期によい環境を与えることによって、合理的な思考と行動を可能にするよい人格形成が促される必要がある」
オーエンは1813年に「新社会観」を出版します。
その中で人間の性格は環境に根差すものであり、環境を改善すればよりよい性格が形成され、社会も良くなる」と説きました。
保育学校の創始者、マクミラン姉妹とは?
イギリスのマクミラン姉妹は、保育学校の創始者です。
「全ての子どもをあなた自身の子どものように教育しなさい」という教えをモットーにしました。
マクミラン姉妹はスラム街に乳幼児のために自宅を開放して、5歳以下の子どもを対象とする保育学校を開設しました。
妹のマーガレットは社会進出に積極的で、独立労働党の創設にも携わりました。幼稚園という言葉を作ったフレーベルも、マクラーレン姉妹の影響を受けています。
マクミラン姉妹は労働者の子どもたちの健康増進と生活習慣形成に関わる内容を充実させた保育を実践しました。
モンテッソーリとおもちゃ、教具の謎
イタリアの女性医学博士、モンテッソーリによって開発されたのが、モンテッソーリ教育です。その基本的な考え方は次のようなものです。
「子どもは生まれながらにして、自分自身を成長させ、発達させる力を持っている。したがって保護者や教師と言った大人は、子どもの成長要求をくみ取らなければならない。子どもの自由を保証し、自発的な活動を助ける役割を果たすべきだ」
モンテッソーリ教育を実践する施設は「子どもの家」と呼ばれます。
この「子どもの家」で学ぶと、乱暴だった子どもが清楚な振る舞いや読み書きの基礎などを短期間で身につけたそうです。これはスゴいと話題になります。
一体どういうことをしていたのか。
モンテッソーリの教育法は、子ども自身に「発育の計画がある」というものでした。
つまり、子どもは子ども自身がその計画に従って、自分自身を作り上げていくという考えです。そのため、先生は求められたときに必要なものが周囲にある環境を整備することが大事であり、発育の計画の通りに成し遂げられるようにしましょう、と教えました。
そのために必要なのが「信頼関係」「発育過程の正しい理解」「教具の正確な使い方」「子どもの自由を見守る姿勢の重視」でした。
そして以下の4つの要素を満たす環境整備を重要視しました。
1.子どもが自由に教具を選べること。
2.「やってみたい」と思えるおもしろそうな教具があること。
3.社会性や協調性が促される、年齢縦断型のクラス編成をすること。
4.一人ひとりの発達段階に応じた環境を整備し、教師は自己形成を助ける。
フレーベルが「遊具」を使ったのに対して、モンテッソーリは「教具」を考案して製作しました。
医師であるモンテッソーリは、日常生活体験型キットとしての教具を考案しました。それらは感覚訓練や生活技術訓練などの教材として活用されました。
彼女の著書は「子どもの発見」や「幼児の秘密」などがあります。
デューイの教育、学校と社会
アメリカのデューイは、こう語りました。「フレーベルから受け継ぐべきは、恩物指導法ではなく、遊びを重視した精神である」と。
先に紹介したように、フレーベルは幼稚園を創設した人物で心に神が宿ると説いていた人です。
一方、デューイはフレーベルの良いところは「遊び」だと挑発的にも感じる発言をしています。どちらかといえば、子どもが活動を通して経験を取り入れることを重視したのがデューイといえそうです。
ブルーナーの発見学習
ブルーナーは「教育の過程」で、どの発達段階の子どもにも、やり方によっては様々な知的教科を教えられるという仮説を示しました。
これにより、早期能力開発の気運の高まりが起きました。
アイザックスの保育原理
アイザックスは、イギリスの女性心理学者です。また精神分析医であり、教育者でもありました。
彼女は赴任した実験学校で、デューイの思想をベースとした実験的教育をスタートさせます。これは通学する子どもの日常を観察して、思考の合理性と理論性を実証するものでした。
そして何が分かったのか?
子どもの興味とは、身近な家庭生活や自然環境だけでなく、科学技術、商品の生産と流通、交通や通信のシステムなど幅広いことを見つけたのです。
アイザックスは、子どもの興味を満たそうと考えて、先入観などにとらわれることなく、子どもが望むものを教育に取り入れました。
これは出来そうで出来ないことですよね。
例えば、生き物の内部が見たと言えば飼育動物の死体解剖を行ったり、化学変化に興味のある子どもがいれば、バーナーを使った燃焼実験をさせたりしました。
こうした無茶とも思える活動を通じて、アイザックスは子どもたちが自ら予想を立てて実験や調査を行い、討論する姿を目の当たりにしたそうです。
そしてある確信にたどり着きました。それは「科学は幼児に適した保育内容である」ということでした。
世界には多くの伝説の教育者がいます。
そして日本にも知られざる偉人は少なくありません。
彼らの名言と使命感を後世に伝えていきたいですね。
本日もありがとうございました。