児童養護の父、石井十次とは
児童養護の父と呼ばれるのが、石井十次さんです。1887年(明治20年)に岡山孤児院を設立し、無制限収容主義を唱えました。無制限収容主義とは、その名の通り、無制限に孤児を収容すること。石井さんが資産家であれば可能かもしれませんが、彼にはお金がなく、頼るのは寄付だけでした。
児童福祉法が制定されたのが1947年ですから、国がどうにかしてくれる時代でもありません。お金もないのになぜそんな事業をはじめたのかといえば、神への信念だったといわれています。
石井十次さんといえば他にも宮崎県の茶臼岳孤児院、尋常小学校の設立、愛染橋保育所と愛染橋夜学校を引き継いだことは有名です。もともとは医学生でしたが24歳のとき、孤児教育に生きることを決めたといいます。
岡山孤児院とは
岡山孤児院は明治20年に石井十次さんが岡山市に創立した孤児院です。自らが院長として運営していました。岡山孤児院はコッテージ・システム(小舎制)という教育方針で知られています。これは、保母一人に十数人の子供たちがひとつのコッテージ(小舎)で家族のように生活するスタイルです。
最盛期である明治39年には1200名の孤児を養育していたのですから、今では信じられないほどの大規模な孤児院です。孤児院の運営費は殆どが寄付金。支援していたのは、ライオン株式会社の前身である小林富次郎商店。その慈善券などが充てられていました。今でいうベルマークのようなものでした。
岡山孤児院12則
岡山孤児院には、石井十次さんによってまとめられた「岡山孤児院十二則」というのがありました。以下が、その12則です。
1. 家族主義
2.委託主義
3.満腹主義
4.実行主義
5.非体罰主義
6.宗教主義
7.密室主義
8.旅行主義
9.米洗主義
10.小学教育
11.実業教育
12.托鉢主義
岡山孤児院12則の内容とは
石井十次さんが考えた「岡山孤児院12則」の内容を簡単に紹介したいと思います。
家族主義とは家庭的な雰囲気という意味と現代におけるグループホームであり、当時は、家庭舎とも呼ばれていました。
委託主義とは収容した幼児や虚弱児の養育を農家等に委託するという考え方。このときは「里子制」という名称を用いていました。当時から、より家庭的な環境で生活することの大切さを知っていたのかもしれません。
満腹主義とは収容後に食事を無制限に食べさせること。これによって、盗癖の大半はなくなるという考え方でした。自治体からの支援もない中で、孤児の食事を確保するということは並大抵のことではないと想像できます。
実行主義とは言葉ではなく職員自身が自ら実行して孤児を導くという考え方です。大人である職員が自ら見本を示さなければ子どもも納得して付いてはこないでしょう。
密室主義とは言葉に違和感がありますが、叱ることも、誉めることも、児童と二人だけで行うという考え方です。子どもを叱るときは人前でするのではなく「一人でいるときに行うべき」など実践的な内容となっています。
米洗主義とは集団教育のこと。児童の天真の特質を発揮するために集団で正しい教育を行うという考え方です。米ぬかを洗い落とせば、みんなきれいな米になるという性善的な考えに基づいています。
托鉢(たくはつ)主義とは基本的には寄付によって孤児院を経営する考え方です。寄付には賛助寄附金、臨時寄付金品、慈善函寄附金、慈善曾寄附金などがありました。
石井十次の功績とは
保育士の試験などではよく出る石井十次さん。一般的には知らない方も多いかもしれません。日本の児童養護の父として有名ですが、改めてその功績を知ると見習うべきことは多いです。
もちろん当時の孤児院のあり方が全て良かったということではありません。紆余曲折をへて現在の形となり、さらに進化していくことが期待されています。
日本の児童養護の礎を作った石井十次さん。何かとのときにその考え方は参考になるかもしれませんね。本日もありがとうございました。
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