日本の障がいの歴史には偏見や差別から生まれた闇もあります。そのひとつが「私宅監置」です。私宅監置とは、精神病やそうだと疑われる人を自宅の一室や敷地内の小屋に閉じ込めておく仕組みです。
かって日本では精神医療も十分に発達しておらず、多くの障がいのある方が非人道的な環境に置かれていました。今回は私宅監置について紹介します。
私宅監置とは
私宅監置とはその名の通り、精神障害のある方や疑わしい人を自宅や敷地内の小屋に閉じ込めて監禁することです。日本では届け出をするなど、一定の条件の下に合法的に認められていました。
私宅監置は昔話ではなく、沖縄では1972年まで続いていました。こうした歴史の闇については、映画『夜明け前のうた~消された沖縄の障害者』でも描かれています。
なぜ私宅監置が認められたのか?
日本では、1900年に精神病者監護法が制定され、精神障害者の私宅監置が認められるようになりました。当時は精神科病院が不足しており、患者を入院させる事が出来ないケースも多く存在していました。
病院に入院させられない精神障がい者の問題を解消するために、配偶者や家族に保護義務を課して、専用の部屋に閉じ込める「私宅監置」を法的に認めていたのです。
劣悪な生活環境
私宅監置での生活は劣悪なものでした。日本精神神経学会は当時の実態について、以下のように紹介しています。
精神科医の呉秀三は、1910年から1916年までの間、監置室365、被監置精神病者361人の実態調査をおこない、その実状を明らかにしました。監置室は1~2坪のものが約60%で、極めて悲惨な環境であったといいます。当時は今では考えられないような様々な拘束用具が用いられていました。
拘束用具
私宅監置では監禁だけではなく、身体の自由を奪う拘束用具も使われていました。例えば手錠、手鎖、足錠の他、手革、足革などです。
拘束衣と呼ばれる拘束用具もありました。これは袖が長いジャケット状で、着用者の手を腹側にまわして袖を結び上半身の自由を奪うものです。この拘束衣は最近まであちこちで用いられていたといいます。
私宅監置の廃止
1950年(昭和25年)の精神衛生法の制定によって、ようやく精神障害者の私宅監置が廃止されました。しかし、なぜここまで私宅監置が続いたのか。そこには日本独自の文化的な理由もあります。
日本では古くから、障がいを持つ人は先祖の祟り、何かにとりつかれたため…など非科学的な理由が信じられていました。そのため、障がい者の保護はほとんど家族に依存している状態でした。
戦後、GHQの指摘
こうした状況を変えたのが終戦、日本にやってきた連合軍指令部(GHQ)でした。傷痍軍人を優遇する日本の障害者施策をよしとせず、その他の障がい者も含めた法律を制定するよう日本政府に求めたのです。
その中で私宅監置における劣悪な環境が問題視されました。そして1950年の精神衛生法制定によって精神障害者の私宅監置は禁止される事となりました。
まとめ
1950年の精神衛生法の制定によって、精神障害者の私宅監置は廃止されました。そして患者が精神病院で医療を受けることが出来る制度となりました。
現代では考えられない私宅監置が合法化されていた背景には、「普通」とは異なるものを排除しがちな日本の社会文化が大きく影響しているのかもしれません。
令和という新しい時代には、自由、平等、共生に基づく社会正義の実現が問われているのかもしれません。本日もありがとうございました。